弊社の中国進出Histry

~時代背景

時代はバブル景気真っ盛り。

弊社が取り扱う化学工業薬品の販売先は、殆どが当時3Kと呼ばれる町工場が中心でした。

労働集約型産業の国外移転が日々加速し、国内市場は狭まる一方の時代を迎えました。

海外移転先の多くは中国。大部分が当時の暫八と呼ばれる委託加工。

弊社のお得意様も、時代の流れに乗って中国への委託加工へと移行いたしました。

中国から毎日のようにオファーがあり、出来の良い加工サンプル品が次々と送られてきます。

ここに落とし穴がありました。巷で「ゴールデンサンプル」と呼ばれる、一品物のサンプル品。

いざ本格的に発注を掛けると、送られてくるのは問題が山積みの商品ばかり。

原料を日本から送って、中国の質の悪い原料を用いて加工することが原因です。

お得意様の意向もあり、弊社取扱製品が必要とされている場所は日本国内でなく、中国に市場がある。安定した工業薬品を委託工場に供給し、委託加工品の品質安定を目的に、中国市場への参入を決定いたしました。

~進出第一歩

工場での意思疎通、商習慣の理解のためにコミュニケーションツールとしての語学の必要性を感じ、1994年中国へ語学研修と市場調査のため、中国への第一歩を踏み出しました。

場所は、創業者である佐々木貞次郎が丁稚奉公時代に何度も足を運んだ奉天支店のあった、現遼寧省瀋陽市。

中国での工業薬品販売の出足は順調でした。すぐに数社からサンプル品納入の依頼が舞い込んでまいりました。

~売り上げの伸びない裏事情

但し、その後の販売にはつながらない日々が延々と続きました。

工場を訪問し商談を重ね。頂いた回答は、

「日本に送る日本顧客を満足させるためのサンプルを作るために、良質な薬品サンプルが必要」

「本格的な製造に良質の薬品を使用すると大幅なコストアップとなるので、量産時にはコストパフォーマンスに優れる中国国産の薬品を使用する。」

「低コストの中国国産の薬品は安定性に劣るものの、我々の技術力と製品管理能力で安定した商品を生産し、日本へ輸出する。これが低コストで競争力のある中国製造業の強みである。」

との回答があり、弊社中国進出はとん挫し、日本へ輸出される委託加工製品の品質を向上させるという任務も果たすことができなくなりました。

~現在に繋がる過去からのご縁

中国進出前より、日本国内にて、弊社・生地工場様・安全保護具メーカー様と三つ巴で製品開発をしていたご縁がございました。

その安全保護具メーカー様にお話を持ち掛け、一転して中国国内での安全保護具の販売をさせていただくこととなりました。

当時、2004年の「中華人民共和国安全生産法」が制定されるより前のの中国は「怪我と弁当は自分持ち」に近い感覚で、市場には安全保護具の様な物しかない状況でした。

中国は、手始めに本国で労働安全に経験のある外国企業に焦点を絞って、安全に対する法整備を徹底し、徐々に国内企業全体の底上げを図っていたようです。

罰金の徴収しやすい外資系企業を狙い撃ちにした。と言えるかも知れません。

幸い、中国に進出した日系企業様が「日本の感覚で使用できる安全保護具」を探しておられた時期が重なり、売り上げを立てることができました。

2004年に「中華人民共和国安全生産法」が施行され、弊社は遼寧省安全監督局が設立されると同時に、中国国内唯一の北京監督局にて、遼寧省第一号の安全保護具販売許認可申請を行い、その後遼寧省安全監督局と共に地域の安全保護具普及に尽力して参りました。

~未来に向けて

その後現在は、日系企業様を中心に労働保護用品を中心に、お手回り品、設備機械の補修部品等の商材を販売しております。

市場にあふれる中国製品の中から、日本人のフィルターを通して日系企業のお客様にご提供させていただいております。

お客様とのお話を重ねて「譲れない部分と、コストカット優先の部分」を共に考え、コストに優れる中国製品や、中国国内の縫製加工工場でのオリジナル製品販売の経験を通し、弊社の基本概念「現場に丁度の高性能」が構築されました。

中国製品を含め玉石混淆の状態が続いている現在の日本市場で、コストは魅力的だけれども、商品詳細は? 品質は? 中国製はちっと、、沢山の意見が散見致されます。

これまでの経験を生かし、中国サプライヤーと日本のお客様をベストな形で、

これからも、大和商会の名前の由来である 大阪と和歌山を飛び出して、大阪と中国を商いを通じて沢山の人とお会いしたいと思っております。

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